Reflection

毎日の気づき、反省を書き留めて...

神の存在

これまでに神の存在を確かに感じたことが何度もあった。

一番初めは、もう何年前のことだったかさえ忘れている。しかし、神の存在を感じたという確かな記憶だけは残っている。とにかく、僕が小さいころ。その日は妙にむしゃくしゃしていて、穏やかな気持ちではなかった。自転車に乗って、母の後ろを追っていた。夕飯の買い物でも行く時だったかと思う。自分のイライラを、自転車に乗りながら母に当たり散らしていた。母もストレスが溜まっていたのだろう、まったく取り合ってくれない。僕は母の注意をひこうという気持ちと、このどうしようもないイライラからくる虚脱感から、坂道を一気に駆け下りた。そのまま、坂の下の横断歩道の信号を無視したのだと思う。気が付いた時には自動車のクラクションがブーブー鳴り響いていて、僕はひたすら泣いていた。周りから、「まぁ、危ない。」「よく助かったわね。」といった声が聞こえてきたのを覚えている。自分でも、坂道を下っているその時間は、「もしかしたら死ぬかもな」という気持ちがあった。結果として、死ななかった。その後の記憶はもう残されていない。

二番目に感じたのは東大受験。うまくいけばそのまま現役合格、だめでもまあ、順当といったところの準備の出来。緊張しいの僕は本番でいつも以上に力が出せず、英語では全くリスニングの音声が聞こえず、午後の試験時間にはあまりの緊張にのどが渇いてしまい、試験監督に申し出て教室の外に出て給水をさせてもらったほど。とにかく必死にやったものの手ごたえは全くなく、帰宅するなり両親にダメだったという報告をした。発表日もいちおうキャンパスには行ったがどうせない数字を確かめに行くのも面倒で、遠目から掲示板を眺めてなんとなく無いという確認をして、一人寂しく家路についた。その道中で、予備校の先生から電話が。「お前、今どこだ?何で帰ろうとしているんだ。早く戻ってこい。」しっかり数字を確認していなかったせいで、掲示板の一番下にあった自分の受験番号を見逃していた。でも、その時は不思議でしょうがなかった。あれほどできなかった試験が、どうして合格なのか。試験以降ためらっていた自己採点をしてみたら、各科目の記号選択問題が偶然にもほとんど合っていた。

三番目に感じたのは運命の人との出会い。大学に入りたての頃、サークルの新歓に出席するのに忙しかった僕は、連日の深夜にわたる宴会で疲れ果てていた。当日は本命のサッカーサークルの練習があったものの、どうも気分も体調も乗ってこない。そのまま今日はおとなしく帰ろうかという時に、なぜか今日は無理してでも出席したほうが良いのではないかという気がした。理由は分からない。なぜその心の声にしがったのかも覚えていない。とにかく僕はその日は練習に行き、そして、その日マネージャーとして来ていた一人の美しい女性を発見した。その人だけ、輝いていた。なぜだか知らないが、背景に白い光が輝いて見えた。その後のサークルの食事会では自然とその人と同じテーブルになり、あまり話せなかったものの帰り道が同じということで電車内で話し込み、連絡先を交換してその日はお別れ。すぐに向こうからメールが来て、「会いましょう」と。そのまま何度も会わないうちに付き合いはじめ、6年付き合った末に結婚することに。

四番目に感じたのは就職活動。どうしても外資投資銀行M&Aがやりたかった僕は、学部が経済学部ではなかったこともあり、なかなか苦労していた。まず新卒としては日系の投資銀行かなと見切りをつけ始めていたころ、とある外資投資銀行の懇親会。自分から名刺をもらうといった高等芸のできない僕は、長々と話し込む友達を待っていた。気が付いたらその友人は、社員に名刺をもらおうとしている。「ついでに僕もいただいて良いですか?」なんとも図々しいという友人からの視線を感じつつ、そのまま名刺をもらい、せっかくだからということでその人にメールを送った。OB訪問ではなかなかその人と話が弾み、結局僕はその会社にお世話になることに。

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どこでリスクをとるか、何でリスクをとるか

世の中、やりたいことをノーリスクでできるなんてあり得ない。すべてはトレードオフ。そこで問題は、あなたは何でリスクがとれますか?何でとりたいですか?何のリスクなら納得できますかということ。

疲れからくる精神的な弱り

将来について、これからの仕事について、ちょっと余裕のある時にこのままで大丈夫かふと不安になることがあると思う。心配しなくていい。それはおそらく精神的・体力的な疲れからきている。まずは回復に努めて、そうしたらきっと考えが前向きに変わっているはず。

TBUマレーシア旅行(今回の旅行をきっかけとした気づき)

マレーシアを訪れたことで

マレーシアを訪問することで得ることのできた気づきを書き表そうと思う。最も印象強いのは、やはり人生の師匠ともいうべき、Mahesaとのコミュニケーションのなかから。

 

仕事から完全に離れる時間をつくったことで

TBUマレーシア旅行(Day4~Day5)

Sepang Golden Coastへ

Mahesaとの夜

再びエアアジア

日本に到着

TBUマレーシア旅行(Day2~Day3)

3時間の自動車旅

マラッカ

ようやく一人旅

クアラルンプール

地元のショッピングモール~一人の夜

TBUマレーシア旅行(準備~Day1)

2016年11月18日(金)から11月22日(火)にかけて、マレーシアを旅行。その振り返りをしようと思う。この旅行を端的に言い表せば、仕事から完全に離れた時間を過ごすことができ、自分の人生をもう一度見つめなおす良いきっかけになったというところか。

旅行決定までの背景

欧州の会社に勤めているということもあり、忙しい中でも休暇は必ず取らされる。直上の上司がしばらくアメリカへ出張するタイミングができ、それと同じタイミングで休みをとってはどうかという上司からの提案をそのまま呑んで、5連続以上の休暇日を獲得。さて、この期間をどう使おうかというところで、まず東京にとどまっていては自分という人間を振り返ってみてもどうも有意義な時間を過ごせる見込みがないと判断。それではどこかへ旅行しようということで、弟がいまワーキングホリデーで滞在しているオーストラリアか、僕の親友Mahesaが暮らしているマレーシアのどちらかがいいなと。オーストラリアは物価が高いし、先進国の旅行はもう十分だということで、マレーシアに決定。ここであればあまりお金を使わず、またMahesaを頼ればなかなか良い経験が得られるのではないかと考えた。

偶然にも、羽田からクアラルンプールの直行便が往復で2万5千円というエアアジアの格安チケットを発見。ホテルはMahesaがクアラルンプールの郊外(Petaling Jaya)にある四つ星ホテルArmadaをおさえてくれた。準備にあまり時間を取れないなか、手際よく物事が進んでいく。出発日は11月17日(木)の23時半、到着は11月28日(金)の6時半(現地時間)。当日は父母が僕の家まで来て簡単に掃除などをしてくれ、そのあとは僕のお気に入りのお店で食事。そのままゆっくり準備を進めて余裕をもって羽田空港へ。

エアアジア(行き)

格安のLCC。直行便で2万5千円なのだからどれだけクオリティが低くとも文句はないという心づもりだったものの、あいにく席が真ん中の列のど真ん中。トイレが比較的近い自分にとってはネガティブポイント。続いて、席が恐ろしく狭い。約8時間のフライトはさすがにキツカッタものの、大半の時間をなんとか眠って(仮眠程度)マレーシアへ到着。現地に着いた瞬間から眠たいし、疲労がどっとたまっている。機内は日本人の旅行者が若干と、中国人が多かったイメージ。

Day1

Mahesaとの再会

Mahesaとの再会は今年の2月にスコットランドで会って以来。早朝にも関わらず、そして仕事があるのにも関わらず、Mahesaが空港(KLIA2)まで迎えに来てくれた。朝は4時に起きたとのこと。本当にHospitalityが高く、こういう点は尊敬できる。自動車はPeroduaという国産メーカーで、彼が言うにはダイハツミラーと設計が同じだとのこと。Mahesaには悪いが「これで本当に走るのか?」と思ってしまうほどのボロい自動車で(20年弱使っているらしい)、正直、一目見た瞬間にニヤリと笑ってしまった。ただこれは嘲笑ではなく、この車があまりにもMahesaらしいなと感じたから。彼はとてつもなく変わり者で、いろいろと世間の常識にとらわれないところがある。「この車は確かにファンタスティックではないかもしれない、でも20年弱走り続けている良い車なんだ」と言って楽しそうにマニュアルのレバーをぐりぐり操作していた(坂道停車の時はいつも「Oh, I hate this...」)。荷物を後部座席において、助手席に乗せてもらって、ひとまずMahesaの職場へ向かう。ホテルのチェックインが14時からで、それまでの間、荷物などを置かせてもらうことになっていた。

Mahesaの職場、Tensarマレーシア

オフィス近辺に到着すると、朝ご飯を食べようということで、小さな市場へ。朝から多くの現地人が集まって活況を呈している。メニューはすべてMahesaにお任せ。「食べられないものはあるか?」と聞かれて、「ないよ。」と返事をすると、そのまま市場のお店をいくつか回ってオーダーしてくれた。食事はフードコーナーのような場所でとる。頼んだのはマレーシアの焼きそばとフォーのようなもの。清潔感の一切ない空間、食器、料理だったものの、食してみれば悪くない。ただ、僕のおなかはそれほど強くないので、どうも十分に食事を楽しむことができない。最後にコーヒーを飲む。味がおかしい。やたらと甘ったるい。それでも飲めなくはない。食事代(300円くらい?)はすべてMahesaが出してくれた。自分で払うから大丈夫だよと伝えたところ、「とりあえず俺が出しておくから後で生産しよう」とのこと。このパターン、スコットランドでもあったのだが、こうしたローカルの安いお店ではMahesaが出してくれるのだが、割と高めのお店は自分がMahesaの分を支払うこととなる。若干の不安を抱えつつ、「Thank you」と言っておく。食事が終わるとMahesaの職場へ直行。

職場はChina Townのような場所にあり、アパートの入り口のようなところから階段をのぼっていくと到着。僕とMahesaが最初だったみたいで、南京錠をガチャリとあけてオフィスにお邪魔する。Tensarというイギリス(アメリカ?)の建設産業向け素材メーカーのマレーシア支部だが、オフィスはまるで大学受験予備校の校舎。社員もたったの4人らしい。この規模で、東南アジアのビジネスを全てカバーしているのだとか。荷物を降ろして一安心。トイレを済ませて、Wi-Fiのパスワードを教えてもらい、メッセージのチェックなどを進めるも、エアアジアで蓄積した疲労が抜けきらず。途中からマレーシア支部のヘッド、セールスのヘッド、あともう一人が登場。全員中国系のマレーシア人。マレーシアでは、やはりビジネスで成功しているのは中国系がほとんどとのこと。改めて、中国という存在の大きさを認識。マレーシアオフィスヘッドは非常に気さくな方で、いきなり訪ねてきた若造に対してもいろいろと話をしてくれた。Mahesaにとっても自慢の上司らしく、「良い人だろ?」と嬉しそうに話してくる。その後はオフィスにいても暇なだけなので、Mahesaに近くのショッピングモールを紹介してもらう。ニュースではちらっと聞いたことがあったのだけど、マレーシアはショッピングモールが人気ということで有名で、日本のディベロッパーもたくさん参加している。平日なので人はほとんどいないものの、清潔感もあり、日本の百貨店に入っているようなお店が連なっている。偶然にもマッサージを発見。アロママッサージが1時間4000円程度だったのでお願いすることに。人生初だったものの、なかなか良く、エアアジアによって消耗した体力を幾分か回復させることができた。その後、ランチタイムのMahesaと合流して彼曰く有名の広東系中華鍋料理屋へ。だいたい2人で1000円くらいだったろうか。豚肉と野菜の鍋と、ライス、中国の揚げパンを食す。味は悪くないが、やはり清潔感という面で、二度は行きたくないなという印象。東京でおぼっちゃま育ちをしてしまったんだなという自分に気がつく。食後にMahesaにホテルArmadaまで送ってもらい、そのままチェックイン。4スターだけにまあ、悪くないという印象。そのまま夜までベッドで休憩。

 7時くらいだったろうか、Mahesaが仕事を終えてホテルまで来てくれた。明日は朝早く一緒に出掛けるからと、今夜は僕のホテルに宿泊する予定。正直、疲労が抜けきっておらず、せっかくのホテルでおい、お前も泊まるのかという気持ちを持ってしまったものの、スコットランドで2週間も食事と宿を提供してくれたことに加え、就活やその他人生で壁にぶち当たったときはいつもSkypeで相談に乗ってくれていた恩はあまりにも大きかったので、必死で自分を押し殺し、Mahesaと一泊することに。そのままMahesaの愛車でショッピングモールへ行き、「Sakae Sushi」という回転ずしチェーンへ。

Sakae Suhsi、マレーシアの金曜夜
To comeee

会計(MYR/JPY = 30で計算)

・航空機チケット(往復、直行便):2万4758円

・ホテル(4泊5日):合計3万9536円

部屋:3万503円

朝食(3回):2291円 

バーでの食事(2人分):6742円

◆Day1

・マッサージ(1時間): 3600円