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Reflection

毎日の気づき、反省を書き留めて...

外資系投資銀行の大幅な人員削減発表をうけて

 とある外資投資銀行にて、東京オフィスの大幅な人員削減が発表された。ターゲットは現物株事業、すなわち株式のセールスやリサーチであるが、業務が関連するIBDにも影響があり、他人事ではない。ロンドンに来て、来年春から同じく外資投資銀行で働く先輩のもとに宿泊し、二人して将来のキャリアについて理想を語り合っていたのだが、ここで一気に冷水を浴びせられた格好だ。僕が今年春から入社するファームもトップティアでなく、このようなリスクにさらされている。当然ながら、トップティアに君臨する外資投資銀行のような環境で働くことはできない。インターンを経験した学生の身分で、詳しいことは分からないものの、「社内の競争が激しい」とは別の意味での苦しい環境で働かなくてはならないだろう。楽しかったはずのイギリス旅行であるが、今は頭のなかがこの話でいっぱいである。

 こうして一人で不安に苛まれているなかで、いまの内定先の会社を選んだ頃の自分を振り返ってみた。当時から、自分の能力には自信があった。一方で、官僚の面接試験に落とされて留年をしたということもあり、新卒の就活市場において、うまく評価されるかという部分にかなり不安を抱いていた。学部も人文系の学部で、投資銀行とは全く関連がなく、本当に投資銀行に就職できるのかという点で、自信がなかった。うまく日系のトップティア・ファームに滑り込み、そこで死に物狂いで働き、活躍し、そのまま外資系トップティアに転職するというコースを、現実的な路線として描いていた。仮に投資銀行の業界に滑り込むことができなくとも、商社に就職するか、もしくはどこか魅力ある社長が率いるベンチャー企業に採用してもらえたら、その場で活躍して、MBAにでも行ってプロフェッショナルファームに転職しようというふうに考えていた。それが本当に奇跡的な偶然が重なり、ある日突然外資投資銀行のリクルーターの人と巡り会って、そのまま内定が転がり込んできたのである。僕がいまの外資投資銀行から内定をもらうことができたのは、まことにラッキーのおかげなのである。

 それがいつの間にか、外資系企業内定者の間で開催されるパーティーなどに顔を出し、僕とは違ってきちんと実力で順当に内定を勝ち取った人材の中にまぎれこむなかで、また同世代の3倍以上の給料と、これまた学生にしては巨額なサインオン・ボーナス、外資系企業専門の英語教師による個別指導を週2回うけていくなかで、あたかも自分がそのような世界の人間の仲間入りをしたかのような錯覚を起こし、ここ最近はどこか肩で風を切って歩くような生活をしていた。実力もないくせに、アメリカでMBAを取得するだ、将来はプライベート・エクイティ・ファンドに入るんだと豪語し、また日本の企業はこれだからダメなんだと、あたかも自分が偉くなったかのような姿勢を見せていた。実態は、かつてのどこの企業に採用してもらえるのかとビクビクしていたあの頃と変わらない、ただの気の小さくて少し生意気なガキのままだ。

 実はよくよく昔を思い返してみれば、何の肩書きも持っていなかったあの頃の方が人間として優れていたような気がしてならない。とにかく捨てるものがなかったので、常に前を向いていた。野心的で、常に背伸びをしてチャレンジしようとしていた。肩書きや他人の力に頼ることがなく、100%、自分の力のみを信じていた。失敗が、全く怖くなかった。そのおかげで、多くの人に認められ、いろいろな機会をもらい、やっとのことでここまでたどりついたんだ。それがいつか、就活生の間だけで通用する肩書きを手にしてしまったがために、かつての姿勢を失ってしまった。

 あの頃の姿勢を取り戻すことができたなら、将来この外資投資銀行の世界でクビになったり、干されたりしたとしても、全く問題ない。なんせ、自分の実力には自信がある。どんな場所や環境であっても、精一杯働いて、いつかはしかるべき位置にまた戻ってくることができる。あの時の姿勢を、常に心に留めおこう。今回の一件は、どこかたるんでいた自分自身に喝を入れる良い機会となった。

【追記】

 過去の記述を見返していると、BS歴史観、家康の三方ヶ原の合戦の回で、萱野稔人さんの非常に示唆に富む言葉をメモしていた。

「人間には2種類いる。うまく行った時を基準に物事を考える人と、うまくいかない時を基準に物事を考える人。前者の人間が8割。家康は後者。」

 僕は残念ながら8割の人間の方だったみたいだ。いや、こうして自分で気づくことができた。家康に近づくことのできるポテンシャルがあるのかもしれない。